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象書へのいざない

  • 2010/03/31 11:35 PM

我々は今日まで少字数書を度々発表してきた。

少字数書の名は書の形式的概念によって分けられたジャンルである。

だから少字数書イコール象書ではない。

少ない字数を書くのは同じであっても、そこに書の持つ象徴性がなくては象書にはならない。

「海」を素材とした時、「海」の何を見、何を聴き、それがおのれの人生とどのようにかかわっているのか、そして、それを生み出す書の古典や理法とどのようにからめていくのか、海は広い、海は荒いという表面的な受け止めから、自己の内面へと向かっていく受けとめを通して、一つの点や線にそれらが象徴化、あるいは凝縮化したものを発現してはじめて象書となるのである。

手島先生は象書のはしりに、「虚」を発表されたが、この書は能を鑑賞して、その鼓やスリ足と足さばきから生まれる「トントン、トントン」の音を聴き、一本の線の中にそれらを象徴された。「虚」字の本来の意味とは別の形で「虚」を書いたと言えるのである。

楠城も抱海も王義之・空海・顔真卿・褚遂良・等々多数の古典を学んできたが、それは単なる形の模倣をして来たのではない。常に書としての生気と、筆理としての筆の弾性と、筆鋒の先の生かし方を中心にすえて学習をして来た。今まさに現代の象書の最先端を切って平成の象書を生みたいと念願している。

たとえ象書にならなくとも日本人の魂に根ざした、心に響きあう書を作りたいものである。

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